神戸市外大

大学2年の夏からロシアに4年間滞在。
こころの向くままに進んでいったことが、 いまのわたしに繋がっています。

渡辺沙也子 外国語学部 ロシア学科 2016年度入学/2023年度卒業予定

 小さなころから、父の仕事の関係でよく海外に行くことがありました。家庭でも、外国の文化にはふれてきました。家族と一緒にいろんな地域に行きましたが、ロシア語圏にはまったく縁がありませんでした。ところが、高校生になって父が旧ソ連のウズベキスタンに出張するようになり、お土産や仕事の話を通じてロシア語圏に興味を持つようになりました。進学を控え、英語ともう一つ言語を習得したいと思い、それならロシア語にしようと、ロシア学科に入学しました。

大学2年の夏からロシアに4年間滞在。

 1年のころは大学でロシア語をアルファベットから学びました。アルバイトやサークル活動も含めて毎日が目まぐるしく過ぎて、予習?復習のためには睡眠時間を削るしかなくて、常に頭がグラグラしていたのを覚えています。ロシア語は文法が複雑でそのうえ例外も多く、習得が難しい言語だと言われています。でも10代後半になって、何かを完全にゼロから学ぶのは新鮮な体験でした。
 いち早く現地に身を置いて学びたいと考えて、2年の夏から交換留学でロシアのエカテリンブルクへ行きました。当時はロシア語での意思疎通もままならないようなレベルでしたが、外国人のためのロシア語コースに入って必死に勉強しました。アジア、ヨーロッパを問わず、さまざまな国から学生が来ていましたね。

ロシア留学が始まったばかりのころ、留学先での日露交流事業にて

エカテリンブルクにて留学仲間と

エカテリンブルク留学の終盤、クラスメートたちと

 1年間のエカテリンブルグでの留学生活を終えた後はいったん日本に戻り、2年目の留学ではウラジオストクに行きました。ロシアの東の端の、日本からも近い港町です。母が私の歳のころに行ったことがあるそうで、母から聞いたそのころの話と比べて街は大きく変化していて、かなり暮らしやすいところでした。晴れた日の海や空が、地元神戸とどこか似ていた気がします。
 1年目の留学である程度までロシア語力を伸ばせた実感があったので、2年目では早いうちに「ロシア語能力検定」第3レベルを取ろうと思っていました。

ウラジオストク留学中に学生インタビューを受ける。

大学祭にて、民族衣装を着た留学生たちと

ウラジオストクからの帰国間際、一面凍りついた海の上で。

 2つの街での留学を終えてからは、モスクワの日本国大使館で働きました。その理由は、できるだけ若いうちに海外で働いてみたかったこと、将来的に日本に貢献できる仕事に携われないかと考えていたことからです。わたしのポストは任期が2年間で、大学在学中の勤務も認められることから受験を決めました。試験は日本で行われるため、2年目の留学中に一時帰国しました。社会人としてのフルタイム勤務となるため、この仕事を経験した上で改めて卒業後の進路を考えようという思いがありました。そのため、大使館という場で、日本の国益を守るために働く人々の働き方を間近でよく見ておこうと思いました。
 仕事としては、主に外交官のサポートですね。ロシア語の通訳、翻訳、チケット手配や現地職員への指示というようなこともありました。
 こうして合計4年間、ロシアの3つの都市で暮らしました。

  • 大使館の同僚、留学生の友人との夕食会

  • ロシア4年目の夏、モスクワの中心地?赤の広場にて

迷ったとき、問題を抱えたとき。
いつも、いろんなひとに支えられてきた。

 書道が好きで小さなころから習っていました。それで、ロシアのひとにも日本文化を知ってもらおうと、現地で書道教室を開きました。日本人なら書道を本格的に習ったことがなくても、学校の授業などである程度の基礎は備わっています。ところがロシアは漢字圏ではないので、当たり前ですが、みんな筆を持つのも初めてなんです。書くときの姿勢や道具の使い方から知ってもらわなければなりませんでした。自分なりにいろいろと奮闘したんですが、ロシアのひとたちに対して授業をどう進めたら良いかわからなくなってしまったことがありました。このときは、現地の日本語学科の友だちからのアドバイスで解決することができました。

  • ジャパンフェスティバルにて、来場者の名前に漢字をあてて書く美狮MGM官网

  • エカテリンブルク留学時代、大学の教室を借りて行っていた書道教室

    日本語学校にて書道を指導

  • 主催した書道体験教室にて、参加者全員で「夢」の字を掲げる

     留学先の授業についていけず、別のクラスに移るべきか悩んでいたときには、ルームメイトに激励されて思いとどまることができました。手続きなど異国生活によくあることで困ったときには現地の友人に助けてもらいましたし、仕事が上手くいかないときは仲の良い先輩に話すことでこころが落ち着きました。
     どんなときも心配してくれる日本の家族の存在が何よりも支えになりました。いろんなことに取り組んだぶんだけ壁にぶつかり苦労もありましたが、いろんなところから手を差し伸べてもらいながら、なんとか乗り越えることができたと思います。じぶんは常に多くのひとに支えられているということを改めて実感し、そうした人々に胸を張っていられるように、苦しいときでも地道に進み続けようと思うようになりました。また、ガムシャラにやるだけでなく、誰かに教えを乞うことや相談することも必要だと学びました。

    別の街に住む友人に会いに行った

    モスクワにて、日本人のラグビーチームで練習。

    2021年夏、ロシア人の友人たちと

夏休みに約25カ国を旅しました。

 これまで行った国を数えると、おそらく35を超えるのではないかと思います。中でも、ロシア留学中の夏休みを利用してヨーロッパを一周したことは思い出深いですね。いま考えても、あれだけ自由な旅はもうできないと思います。荷物は最低限必要なものだけ持って、毎朝の気分で行先を決め、駅で行き当たりばったりにチケットを買って、気がついたら別の国に移動していました。時々地図で場所を確認して、進む方向を考えてみたりしながらの旅でした(笑)。
 中央アジアのウズベキスタン、カザフスタンから東欧のポーランドに飛び、その後は主に列車で移動しながらヨーロッパを南から北まで、約25ヶ国を旅してまわりました。もともとは自分の足で海外に出て、いろんな文化、いろんな食べ物、いろんなひととふれ合ってみたいと思ったことがきっかけでした。この旅でじぶんが変わったことがあるとすれば、じぶんの五感で感じ取ったものに価値を見出すようになったことです。いまの時代、インターネットを通じていろんな情報にアクセスすることができますが、そこで得られるイメージと現実には多かれ少なかれ違いがあります。そしてじぶんのこころに残っているのは、案外有名な場所よりも森の中で感じた風や、街の喧騒、水平線に沈んでいった夕陽だったりします。便利な情報メディアをうまく利用しながら、自分自身の感覚を大事にした生き方をしたいと思うようになりました。それがじぶんだけの人生の土台になるのではないかと思います。

青の都として名高い、ウズベキスタンのサマルカンドにて

  • アテネにて

  • パリにて

子どものころから、
うちは少し変わっていたかもしれません。

 物心つく前からかなりの頻度で海外へ行っていました。いちばん訪れた回数が多いのは中国だと思います。現地ではいわゆる観光名所よりも、地元のひとで賑わう食堂に行くのがわが家の慣わしでした。ここでないと食べられないものを食べようというのが両親の考えだったんですね。わりとショックだったのは、食堂のいけすにいた大きなカエルが奥の厨房に連れていかれたと思ったら、皮を剥かれぶつ切りにされてサラダの上にのって出てきたことでした。でも、食べてみると淡白で美味しかったですけどね(笑)。なんで、うちはこんなところばかりへ行くのだろう?と思ってきましたが、いまとなってはそういった体験を通して、いろんな面ではじめて出会うものを受け入れることができるようになったのだと思います。幼いころの体験や両親の影響に加えて、いろんな場所を旅したこと、ひいてはロシア留学や大使館での仕事の経験によって、じぶんの目がだんだんと見開かれていったのだと思います。じぶんと違う価値観と出会ったとき、それを受け止められるようになり、そのおかげで困難にぶつかってもすぐには諦めないこころが養われました。

自分と向き合いながら就職の軸を定め、進路を決めました。

 一旦大学を離れて働いたのは、良い決断でした。学生のうちにじぶんなりの仕事に対する基準や、人としてありたい姿のイメージを持てたことで、一歩引いたところから新卒就職先の吟味ができたと思います。帰国後の就職活動は約1年半と長く取り組みました。これまでこころを動かされたことなどを思い返しながら自己分析をし、じぶんの人生計画と照らし合わせながら候補を絞り込んでいきました。
 最終的には、一般企業への入社を決めました。外食事業を主として国内外に広く展開する「食の総合企業」です。単に安くて美味しい食事を世界中に提供しようというだけでの想いではなく、世界中から飢餓や貧困を撲滅したい。そのために世界中で食と職のインフラを生み出そうという考えに基づいた理念を持っています。もともと「食」への関心が深かったこともありますが、食べることは命の根幹であり、ひとに活力を与えてくれるものです。この点から広く社会を支えるところに魅力を感じました。
 就活中に社員の方々とお話しする中で、じぶんに合ったキャリアが築けると感じたのも大きいです。ここならじぶんの活躍できる場があると思い、入社を決めました。いずれはまた海外に出たいと思います。食材の買い付けをしたり、みんなでチカラを合わせて新たに出店する国や地域を開拓していくようなことを担いたいです。

帰国後の2023年、外大サマースクールにてロシア語の紹介プレゼンを行ったロシア学科の後輩2名と

2023年秋、兵庫県内の高校でロシア語の特別講座を行った。

後輩の皆さんへ。
いつでも道はじぶんの目の前からはじまります。

 美狮MGM官网は思っているより短いです。わたしは一度働いてから復学したことで、学生の過ごし方の自由さを再認識し、好きなことに打ち込める幸せを感じました。皆さんには、なにかひとつ「全力でやり切った」と思う経験をしてほしいです。これは必ずしも海外に出たり何かを成し遂げたりすることではなく、日々の生活で「ちょっとやってみたい」ことに目を向けることから道が拓けていくものだと思います。興味のアンテナを広く張って、じぶんのこころが反応する瞬間を意識してみてください。
 忙しくしていると、そういうことを忘れがちですが、興味の種はそこらじゅうに転がっています。いま、目の前にあることにいろいろ取り組んでみてください。成功や失敗からじぶんという人間を知り、最後には笑顔で締めくくれるような美狮MGM官网を送ってください。何か行動を起こすときには、不安がついてまわりますよね。でも、思い切って足を踏み出したら、そこにはまだ見ぬ景色が広がっているかもしれません。その一歩の積み重ねが、皆さんを豊かな人生に導いていくのではないかと思います。

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